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ピカチュウ雲

- Pikachu Cloud -


僕は郵便配達をしている
郵便配達といっても正確に言うと、郵便ポストから手紙をとってくるという、配達の一つ、二つ手前をしている。
僕の家はボロイ木造アパートの2階。4畳しかない部屋はいたる所しみだらけ。それにちょっと煙草くさい。

僕は今寝ている。天井のことさら大きなしみをながめ、ちょっとくさい臭いをかぎながら、ダンボールの谷間に寝ている。

ヘルメットをかぶり、バイクに乗ると僕もちょっとかっこよくなる。中身がひょろい僕はこの時間がちょっと好きだ。

途中で映画のポスターが目に入った。ぐうっと引きのばされた視界の中、マッチョな男が目に入った。そしてなぜか酒が飲みたくなった。

途中で二人の小学生が目に入った。小学1年生か2年生のような少女はこちらを向いて手を振ってくれた。バイクに乗っていたので、少しうなずくぐらいしか出来なかった。そしてすぐ後に後悔した。ひょろい自分に後悔した。手紙を集め、局に持っていけば、それで僕の仕事は終わり。なんとも情けない。

道ばたの白いフェンスに腰かけて胸ポケットからくしゃくしゃの煙草を取り出す。風が強くて上手く火がつかなかったけど、3回目に上手くいった。ふーっと煙をはき、空を見上げた。おかしな形の雲が流れていた。ピカチュウみたいな形だった。

面白い雲を見つけたのに、なぜか僕の心は晴れなかった。ため息をついてフェンスから飛びおりるとトボトボ家に向かった。家に向かいながら、どうせ今頃ピカチュウはくずれただろう、なんて事を考えてしまった。

家に帰った所で僕は別に何もしない。風の強い日にはヒューヒューすきま風をふかせる窓をガラリと開け、ぼんやりと考え事をするだけだ。

コンビニで買ったワンカップ酒をちびちびやりながら僕はぼんやりと裏路地にはえた雑草をながめた。おそらく、一生かけても見られる事のないかわいそうな雑草をながめてあげた。

僕は水曜日が定休日だ。といっても限りなく毎日が暇な僕にとってはただただたいくつな日でもあった。
あいかわらずグレードの上がらない安物のたばこを口にくわえ、歯でかくかく上下させて町中をぶらついていると、例のマッチョ男のポスターが目に入った。ほそぼそとした映画館の前でしばらくポスターを眺めた後、僕はなんの気なしに映画館へ入った。

その数日後、僕は郵便配達をやめた。今は本当にニートだ。あの日から僕はほとんど何も変っちゃいない。煙草は今でもくしゃくしゃ。酒だって今だにワンカップだ。ただ、2つだけ、変わったと言えるかもしれない。

一つはかっこいい僕はもういない事。ヘルメットをかぶってバイクに乗った僕のヒーローはもういない。そしてもう一つ。僕は自分に少し自信がもてた。映画のお陰か、そんな事は分からない。だけど少し自信がもてた。

家から少し離れた自販機で煙草を買っているとふいに後ろから声をかけられた、振り返るとそこにいたのはあの時の二人の少女がいた。郵便時代の僕を覚えていたのかはわからなかったが、僕は大きな声で「学校、いってらしゃい」と言えた。そしてすぐ後に自分に誇りが生まれた。マッチョな自分に誇りが生まれた。

家に帰るとゴロンと床に大の字に寝ころがった。両サイドにはなぜかいつまでたっても消えないダンボールが山になっていた。

ふと天井を見ると、ことさら大きなしみがあった。僕はそのしみを"しみ大将"と言ってよく話をしたりした。
すーっと息をすいこむとこの家の香りが優しく鼻の粘膜を刺激させた。煙草の臭いと少し俺の体臭も混ざったなんだか快ちいい臭いだった。

ヒューとすきま風がなった。ぱっと窓を見るとほんの少し、空にぼかりとあのピカチュウ雲が漂っていた。思わず、おお、と僕の口から声がもれた。僕はそれを見て心がとってもすがすがしく晴れた。そして、晴れなかったあの日を思い出し、あの日の分もついでに晴れてあげた。なんだか過去の自分が救われた気分だった。

雲がいってしまってすぐ、しみ大将がなにか言いたげに口を開いた。僕は自分の口に人指し指をあてた。大丈夫。もうそんなヘマはしないさ。

 いつまでも残れ、ピカチュウ雲—。

[ ピカチュウ雲 完 ]