[ 三題話 第一回 「お題 : 東京×幼なじみ×納豆」]
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「納豆〜納豆〜」

 薄暗い東京の倉庫街で、一組の男女が、虚ろな顔で納豆をひたすらかき混ぜる集団に追われていた。

「畜生! あいつらいったいなんなんだ! どうしちまったんだ!」

 20XX年、東京は突如として襲来した「納豆人間」によって窮地に立たされていた。
ー納豆人間に納豆を食べさせられたものは、ただ納豆を食べ、食べさせるだけの存在に成り下がるー
東京のすでに半分は納豆人間の手に落ち、残りも未曾有のパニックに陥っていた。
 この話の主人公、真島 司とその幼なじみの倉田 香織は休憩を挟みながらなんとか一週間納豆人間から逃げおせていた。

「大丈夫か、香織」
「うん、大丈夫。まだ、走れるよ」

 まだ香織の声には張りがあるが、顔や足下には疲労の色が濃い。
 納豆人間は虚ろな顔で機械的に納豆をかき混ぜながら、一定の早さで歩く不気味な存在だ。香織をそんな奴らにしたくない。その一心が司の力になり、足を動かしていた。

(香織はずっと俺が守ってきたんだ)

 倉田 香織はあまり人付き合いがうまい方ではなかった。やや口べたで人見知りの気があり、それが周りとの軋轢を生むこともあった。そんなとき、司は常に香織の側にあり、彼女を支え、守っていた。その自負心のようなものも彼を動かす原動力となっていた。

「納豆〜納豆〜」
(あいつら、逃げても逃げても湧いて来やがる)

 世界に誇る大都市東京。しかし、東京が大都市である、そのことが今や彼らを苛み、果てのない逃走を強いていた。そう、どこに逃げても人がいる。そして人がいるところには納豆人間がいるのだ。

 それからも彼らは小休止を挟みながら、少しでも納豆人間が少ないところを目指して走り続けた。
 だが、休み休み30分ほど走り続けたとき、香織がポツリと漏らした。

「ねえ、私たち、助かるのかな」

 ここまでけなげな逃走を続けてきた香織が、ついに初めて漏らした弱気の影だった。

「なに言ってるんだ。助かるに決まってんだろ」
(そうだ。今度だって俺が助けるんだ)
「そう……だよね。きっと何とかなるよね」
「もちろんだ」

 司は、香織を鼓舞することで自らを鼓舞し、ともすると押しつぶされそうな心を強気で押し固めていた。弱気は心の隙間からスッと体に染み込み足を鈍らせる。彼はそのことを本能的に理解していた。

(しかし、どこへ逃げればいいんだ)

 若い二人はまだ体力には余裕があるとはいえ、ここまでまともな睡眠も食事もとれずに逃げ続け、かなり精神的には参ってきていた。
 そのとき、二人の視界の端に文字通り救いの光ともいえる、一筋の光が見えた。
 見ると、頑丈な扉がある倉庫の前で一人の男性がこちらに手を振っている。

「! よし、香織! あそこに!」
「うん!」
 
 二人で転がるように倉庫に走り込む。すぐに男によって扉が閉められ、しっかりと鍵がかけられ、おまけとばかりに取っ手に鉄パイプが差し込まれる。
 精神を削られるような逃走劇を続けてきた二人がようやく一息をつくことができた瞬間だった。
 周りを見回すとそこは、清潔な白い壁の倉庫だった。奥の方を見ると、積まれた段ボール箱に腰掛けて、一人の壮年の男がこちらを見ている。
 目が合うと、軽く右手を挙げて挨拶してきた。

「やあ、君たちもこれに巻き込まれたのか。災難だったね」
「ええ、ありがとう、ございます」
「いや、困ったときはお互い様だよ。さて、自己紹介をしておこうか。僕は川崎功一。これを使って貸し倉庫をやってる」
「俺は真島 司、高校生です」
「私は倉田 香織。真島君とはその……幼なじみです」

 香織は幼なじみと言うときに少しいい淀み、それを見た川崎は何かに気がついたように少し頷いた。

「まあ、君たち結構な間逃げ続けてたみたいだし、ゆっくりするといいよ。まずは風呂にしようか。特にそっちの彼女は使いたいだろ?」
「は……はい……」

 香織は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
 香織と司は風呂で、この一週間でたまった汗や垢、体の疲れまでもゆっくりと洗い流した。
 そしてその後は、これも一週間ぶりに、納豆人間の恐怖に苛まれることなく、リラックスした気持ちで床に就いたのだった。

 この日彼らは、納豆人間による災厄が始まってからの一週間が嘘のような、平穏な時間を過ごした。
 それからの数日間は、外の情報が入ってこなければ、納豆人間の悪夢など忘れてしまいそうな、平和な日々が続いた。
 その間にも、少しずつ状況は変化していた。まず、首相の決断で大阪に臨時の首都が置かれた。また、自衛隊が投入され、機動隊などと連携して、西に向かっていた納豆人間の大群を長野、山梨、静岡の東側県境のラインまで押し戻すことに成功したというニュースも入っていた。
 まるで日常のような日々が何日か続いたある朝、三人は真剣な面もちで向かい合っていた。
「伝えたいことってなんですか?」
 まず香織が口火を切った。 
しばらく休息をとって香織はかなり元気を取り戻していた。
「一つ、残念なお知らせがあるんだ。はっきり言ってしまうと、もう食料がつきかけている」
「えっ、つまりそれって」
「そう、そろそろここから移動しないといけないっていう話だ」
「そう……ですか」
 もちろん何日かと言った短い時間で東京の状況が好転するとは思っていなかったが、もしかしたらこのまま隠れていれば何とかなるのでは、そういった期待を持ち始めたところに突きつけられた現実だった。
「それで、どうするんですか?」
 ややしょげてしまった香織に変わって司が切り出す。
「僕の車でなんとか西の防衛ラインまで逃げよう。今ならまだ食料もある程度はあるし、ガソリンもセルフのスタンドで十分補給できるだろう」
「強行軍になりそうですね」
「ああ、でもここにとどまっても食料がつきるとおしまいだ。さあ、出発はできるだけ早い方がいい。今日のうちに荷物を積み込んでおこう」

 二人が川崎に連れられて車庫に行くと、側面に川崎倉庫と書かれた一台のワゴン車が止まっていた。

「さあ、これが僕の車だ」
「どっちかというと川崎さんの会社の車ですよね」
「僕の会社の車なんだから僕の車のほうなものじゃないか」
「あー、まあ、そうなんじゃないですか?」
「細かいことは置いておいて、さっさと荷物を積み込んでしまおうじゃないか。僕は上に行って食料とかを持ってくるから少し待っていてくれ」

 そういうと、川崎は駐車場のエレベーターに乗り込み、香織と司だけが駐車場に残された。

「なんとかなりそうだね」
「ああ」

 それだけ言葉を交わすと、二人とも何となく黙り込んでしまった。
 しばしの沈黙の後、顔を赤くした香織が、意を決したように口を開いた。

「ねえ、真島くん」
「なんだ?」
「私、真島くんのことが好き」
「ふーん……て、ええええええ!?何でいきなりそうなるんだ!しかもよりによってこんな時に!」
「こんな時だから言っておきたいの。真島くんは昔からずっと私を守ってくれたよね。真島くん、すっごく男らしくて、かっこよかった」
「そうか」
「そ、それだけ!?せっかく勇気を出して言ったのに!」
「うるせーいきなり言いやがって!こっちも恥ずかしいんだよ!」
「……」
「……」

「おや?おじゃまだったかな?」
 
 暫くして、台車にたっぷり物資を積んで降りてきた川崎が目にしたのは、顔を真っ赤にして互いに目をそらす二人の姿だった。
 その後、荷物を積み込み、なんと寝るまで二人は無言だった。


 次の朝、三人は朝早くに車庫に集まった。
 川崎は鋭気を養い、気力十分といった体だが、二人はどうも眠たそうだ。
 川崎はそんな二人の様子を見て、苦笑を漏らした。

「ふふ、君たちは後部座席でゆっくりしていてくれ」
(しかし、相当ウブだなこれは)

 そして全員がワゴンに乗り込み、いよいよ出発の時がきた。

「いよいよ出発するわけだが、少し残念なお知らせだ。昨日かなりガサガサしたせいか、この車庫の前に納豆人間がたむろしている。強行突破するしかないわけだが、まあほとんど人間だ。見たくないものを見ることになってしまうかもしれないから、外は極力みない方がいいよ」
「はい」
「大丈夫です」
「それじゃあ、行くぞ。しっかり掴まっていてくれ!」

 川崎のリモコン操作でガラガラ、キュラキュラと音を立てながらシャッターがゆっくりとあがっていく。
 そこには確かに納豆人間が!
 だが川崎は構わず、思い切りアクセルを踏み込む!

「納とブゴッ!」
「きゃっ!」

 ワゴン車は群がる納豆人間をはじきとばしながら、放談のような勢いで道路に飛び出した。

「まとわりつかれて身動きがとれなくなったらおしまいだ。だからここからも所々危ない運転があるかもしれないから気をつけてくれ」
「「はい」」

 そうはいったものの、ここからはかなり楽な旅路だった。
 何体か無謀にもワゴン車にまとわりついた納豆成人もいたが、ワゴン車のパワーにかなわずはねとばされていった。
 しばらく走ったところですでに無人になっていた料金所から中央自動車道へ。
 高速に乗ると、納豆人間の数は激減し、ほとんどほかの車もいないので快調にとばすことができた。
 ある程度走ったところでふと、司が運転席に声をかけた。

「そういえば、山梨ぐらいだったらどう考えても一日はかかりそうもないのに、どうしてこんなに物資を積んだんですか?」
「ああ、それは避難所にいった時の為さ。こんなきれいななりでいったら必死で逃げてきた人がよく思わないかもしれないだろ? そう言うときに穏健に引き下がってもらうためにね」
「なるほど」
「買収するようであまりいいやり方じゃないんだろうけどね」

 その後も三人を乗せたワゴン車は快調にとばし、昼過ぎには県境までたどり着くことができた。
 県境にはバリケードが設けられ、何人かの自動小銃を手にした自衛官が警備に当たっていた。
 近くで車を止めると、こちらに気がついた自衛官が走りよってきた。

「みなさんどちらから?」
「東京から命からがら逃げてきました」
「それは大変でしたね。でももう大丈夫です。納豆人間には、ここから先はお帰り願っていますので、もう安心していただいて結構ですよ。すぐにバリケードを開けますから、少しお待ちください」

 自衛官が上官とおぼしき自衛官と2、3言葉を交わすと、何人かの自衛官が集まってきてバリケードの一部が撤去された。

「さあ、安全地帯へようこそ!」

 そこから先は、確かに一体の納豆人間も見えなかった。

「私たち本当に助かったんだね」
「そうみたいだな」

 香織が司のほうににじり寄り、司の手にそっと手を重ねる。司は柔らかく、その手を握り返した。
 ワゴン車は安全地帯を快調に疾走していく。今は心なしか、エンジン音までさっきよりも調子がいいように聞こえた。

[ 第一回 「お題 : 東京×幼なじみ×納豆」 完 ]